「なぜ君がそれをやるのか」という言葉の重要性が分かってきた話




起業とかの話。

「なぜ君がそれをやるの?」
ってよく言われるし、なんとなく大事だというのは分かっていたけれど、

最近になってやっと、「やり切れるかどうかを確認する質問」なのだと気が付きました。

物事を進める上で、一番大事なのはパッション的なやる気で、

そのやる気というのは、過去の体験から生み出されてる(ことが多いと思っている)

 

イケているビジネスはあれど

だから一見よく見えるビジネスプランでも、
(最近だと、規格外農作物を青果店に卸せないから、自社で規格外の格安野菜として販売するビジネスが好きです)

すごいいいと思うけど、僕がやるとうまくいかないんだと思います、

乗り越えられるパッションを引き出す経験がないからです。

なにをやればいいのだろう

でもじゃあ何やればいいのかと難しく考える必要はなくて、
結局身近なところに、自分の解決すべきすべての問題と答えがあると思っています。

 

どこか遠くの人の世界平和を願うことも夢として持つのは構わないんだけど、
平和になってくれる最初の人は、もしかして自分の一番身近な人なんじゃないのということです。

 

大学受験勉強の時に、「日本史を選択するか世界史を選択するか」という問題があったのですが、
一番いい回答として心に残っているのは「どっちにしろしんどいから少しでも自分が好きな方を選んだ方がいい
ということだったけど、実際大人になっても当てはまるんだなあと思いました。

 

まとめると

「なぜ君がそれをやるのか」という質問は、

「これから大変なことが山のようにあるけど、

乗り切れるの?なんで乗り切れるって言えるの?」

という意味なのだなあと思いました。

 

行動しよう、楽しもう

ただ従業員として属している会社でこのことを意識しすぎると、

「なんで僕がこんなことをやらなくちゃいけないんだ」とか

「これはぼくのやるべき仕事ではない」と思っちゃうので注意が必要です。

 

その人は大体やりたいことが見つかっていないんだけど、

なんとなく雑務が嫌で現実を受け入れられていないのだと思います。

 

解決策としては、休みの日にやりたいことを探すために行動すること。

考えるのではなくて、行動すること。

見つかるまでは、今行っている仕事はお金をもらう手段だと割り切って、

やりがいとかは無理に探そうとしない方がいいと思います。

なんとなく役に立てている感を感じることが出来たらOKだと思います。

休みの日にひたすら行動してなにかを見つけてください。

 

その結果、

「自分はだれを喜ばせたいか」

「どんな人のどんな状態を解決したいか」

が分かれば最高です。

行動することで自分の時間を生きることが出来ると思います。

 

そんな風に考えてみると、

生きていく上でどうしても必要な会社ってそんなにないような気もします。

 

必要ではないけど、お金をもらうために働いている。

仕事のための仕事を生みだしてそれに時間を費やしてしまっている。

 

人生の大部分をかけてみんなで茶番劇を演じてるのかと思うくらい。

茶番劇にのめり込みすぎて自殺しちゃう人もいる。

 

深く考えすぎずに人生を楽しみましょう。

 

本日もお読みいただき、ありがとうございました。

取り急ぎ御礼申し上げます。

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