「おいしいもの食べてないね~」
小学生の修学旅行、旅館の夕食で湯葉が出てきました。
ぼくはその時、湯葉を初めて見て、
「なんだこれはよくわからん味だな」と思いながら食べた記憶があります。
小学生の頃の僕たちは、
湯葉をおいしく感じる人はあまりおらず、
周りにいた友達はその微妙な味に共感しあったものです。
しかし鈴木君だけは「おいしい」と言って食べていました。
それを見た長嶋さんが「おいしいもの食べてないんだね~」
と馬鹿にしていたシーンが記憶に残っています。
高級なものを良いものだと分かることは幸せ?
味の好き嫌いはあれど、
高級な味が分かることは良いことなのか疑問を感じています。
もちろん、一般には「分からない」よりは「分かる」方が良い。
しかし、分からない幸せの形もあるのではと思っています。
「分からない負け惜しみだ」と言われれば確かにそうなのだけれど、
高級だから良いものだと自分を納得させている人もいるのではないか。
考え方として、
安いものの方がおいしいと感じる方が、
安くて満足を得られるわけだから、
そちらの方がコスパがよいのではということです。
高いものでしか満足できなくなった舌は、
確かに味の違いは分かるが幸せなのだろうか。
TVで芸能人格付けチェックが毎年行われているが、
高級なものが高級だと分かることは、
「すごい」と思われる対象にもなる。
安いものをよりおいしく感じたときに、どう捉えるか
モノの値段は需要と供給によって決まるのは前提にあったとして、
食べ物・飲み物においては「おいしさ」ではなく「希少性」で決まっているはずだ。
(そもそもおいしさは人によって異なるから値段を付けられないということもある)
なので、○年物の珍しい超高級ワインよりも、
大量生産できる庶民向けの安いワインの方がおいしく感じるのは十分にありえる話である。
このときに
・ばか舌な自分を残念がり、高級な味を分かるようになりたい、と思うようになるのか、
・安い方をおいしいと感じる自分の舌に喜ぶのか
の違いである。
後者でありたい、ということです。
コスパのよい人生を生きたい
お手軽なもので満足できるコスパのよい人生を生きたい。
費用対効果を意識して生きれるようになりたいです。
自分にとっていいものをいいものと感じるようになりたいです。
余談ですが、
・買う理由が値段なら買わない方がいい
・買うか迷う理由が値段なら買った方がいい
という言葉を聞いたことがあります。
たとえば「安売りしていたから買う」、「良さが分からないけど高いから良いものと信じて買う」、
これはNGということです。
(僕は過去よくやっていました)
すごくスペックが良くて、でも値段が高い場合は、
購入を検討してもよいということです。
妙に納得して記憶に残っています。
話はそれましたが、
「コスパのよい人生を生きたいです」という話でした。
本日もお読みいただき、ありがとうございました。
取り急ぎ御礼申し上げます。